Ⅲ 第18回 障害年金法研究会 報告
本章は2021年5月27日に開催され第18回障害年金法研究会(神奈川大学法学研究所との共催)(オンライン)の報告である。
テーマは
「障害年金訴訟における弁護士の役割」
~線維筋痛症に関する2020 年6月5日東京地裁訴訟等を担当して~」
である。
同事件(裁判所HP掲載)の代理人当会顧問池原毅和弁護士を講師に迎え、
障害年金訴訟における「弁護士の役割」について語って頂き、
障害年金訴訟に取り組む弁護士の裾野を広げるための企画であった。
1 講演録(本ページ)
3 本判例における「日常生活動作」を重視した認定方法等の意義を考察した
社会保険労務士安部敬太会員による論稿。
「2020年6月5日東京地裁判決の肢体障害認定からみた意義」
【第18回研究会 講演録】
【司会:関哉直人】
第18回の研究会を開始します。司会の関哉と申します。
簡単ですが、池原弁護士のご紹介をさせていただきます。
第二東京弁護士会所属、東京アドボカシー法律事務所を運営されています。
障害と言えば、池原先生がいろいろ昔から土壌を築かれてこられた。
その池原弁護士にお話をいただきます。
【池原】
時間経過を大ざっぱに言いますと、一番下側の、右、X+1年9月というのが線維筋痛症の専門医の確定診断があった日で、ここが要するに初診日だということを当初、再審査請求までずっと保険者側が主張していたところです。
それに先立って、約1年1ヶ月前ぐらいですけど、左上のX年8月というところですが、この年の7月ぐらいから具合がずいぶん悪くなって本人がおっしゃるには、自分の感じとしては多分、熱中症か何かよくわからないけどふらついたり、手がしびれたりとか。
最終的には、人差し指が右手の指が痛くてもまがらなかったりとかということがあって、地元の整形外科になっていますが、このもう一つ前に本当は地元のなんていうのだろう、内科とか小児科みたいな、本当に普段風邪ひいたら行くようなお医者さんに行って相談したりして、「熱っぽかったりするんですけど…」みたいな話をしたりしていたんですね。
翌年の9月になって確定診断に至ったということです。
なので、初診日の争点は、X年8月の地元の整形外科のお医者さんで腱鞘炎と診断を受けて、湿布や外用薬をもらったというのが、線維筋痛症についての診療を受けたということになるのかという、初診日問題が問題になったと。
被告側の主張は、被告側がもうちょっとちゃんとした主張すべきだと思うのですけど、初診日は単に医師等を受診した日に傷病発症したと言うだけでは足りなくて、これもかなり珍しいと思うのですけど、要するに診断名がついたとか、診察したというだけでは駄目で、治療もしなきゃいけないと言い始めたのです。当該傷病について初めて医師の診療を受けた日というのは治療行為又は療養の指示があった日というふうに返されると言って、だから原因がわからないから、薬も出さないし、何も指示もないという状態だとするとそれは初診日というに足りないみたいな意味も含んでいるのだと思うのですけど、ただ、本件では地元の整形外科で湿布ぐらいはもらった、外用薬をもらっているのでそこは治療行為とか療養の指示というのはあることになる。
右手の人差し指が、腱鞘炎だという診断で、外用薬の処方とストレッチ指導があったけれど、線維筋痛症に対する主たる治療方法である抗うつ剤や抗てんかん薬は処方されてないので、線維筋痛症に関して診断、治療を受けたということにはならないだから駄目なのだというのが被告の主張だったわけです。
だから言ってみれば線維筋痛症という前提で、それに対するちゃんとした治療が提供されなければ線維筋痛症についての初診日にはならないという主張。
ここの赤字のところ、意図的に被告は、切り落として、要するに、傷病にかかりというところ、その傷病について治療を受けないということでだから線維筋痛症という診断があって線維筋痛症の薬が出てればいいけれど、腱鞘炎だったら、診断名も違うし治療方法も違うから駄目でしょうというふうに言っているわけですが、ただ起因する疾病というところまで射程距離を広げて条文は明らかにそうなっているので、そこから考えれば、別に線維筋痛症と限定されなくてそれに近性があればいいはずの概念でしょうと、これは条文上もちろん明らかなんです。
これと同じ論理構造を取れば当然ある翌年の9月に線維筋痛症が確定診断に至ったとしても、線維筋痛症の症状として、約1年前に指が曲がらないとか痛いとか言う状態が起こってきて、その当時の医者は、腱鞘炎ですよという診断をしたとしても、後から振り返ってみればやっぱりあれは線維筋痛症の最初の表れだったんだよねというのは同じ論理構造になるでしょうっていうのが一つですね、それから同じく学生無年金で争われたのは、これは統合失調症ですが、学生になってから統合失調症が明らかになった -いわば確定診断を受けたわけですけれども-、当然その国民年金の納付要件を満たしないのでそれではいけないので20才より前に何らかの筋疾病がなかったのかさかのぼっていくわけです。そうすると高校生ぐらいのときに不眠とか吐き気とかずつそういうことで内科を受診していて、胃腸炎だねとか、不眠症だねという診断でちょっと胃の薬と、簡単な睡眠導入剤を出してみましょうかというそういうことが行われたあと、これも後から考えればやっぱり統合失調症の人は前駆症状というのが統計的にも数年から七、八年ぐらいまで最終的に統合失調症だとわかるまでに時間がかかっているという傾向があることから、高校生の時にすでに統合失調症のはしりがあったのだねっていうことでそれを初診日と認めたということで同じ論理的構造です。
だからこういうものから考えれば今回、今頃になって、国側がこんな線維筋痛症の確定診断がなきゃいけないとか確定診断を前提にしてその診断に基づく治療が行われていけなきゃいけないという狭い解釈をするのはおかしいでしょうというということです。
国側がもう一つ、引用してきたのは学生無年金の私が最終的に負けた裁判なのですが、最高裁の平成20年10月10日の判決というのがあります。これは東京高裁までは、精神的な判断をしてくれたんです。どういう判断だったかというと、統合失調症は、統合失調症の受診になかなか結びつかなかったり、統合失調症だということは本人や家族が認識するのに時間がかかるということが統計的にわかっていて、明らかに発症しているのだけれど、受診するまでに二、三年かかっているというケースが非常に多いというか、そういう病気だという特徴があるのです。認知症もそうなのですが、家族とか本人が徐々に病気が進んでいくと、認知症が中度や重度まで進んでいることが多くて家族や本人はじわじわと進んでいくのでよくわからないんです。周りから見ると認知症も実際にはおばあちゃん、少し忘れっぽくなってといくと。
ちょっと横にそれましたが、この判決は今申し上げたように、お医者さんにかかったという問題について本件での論点になっているのは線維筋痛症の人が腱鞘炎だという診断を受けて治療を受けていたというのを初診日にしてもいいのかどうか、つまり医者にかかっているという事実はあるという前提の事例なわけです。
線維筋痛症の確定診断で線維筋痛症に基づく治療じゃないと初診日ならないという、外堀はここで埋まったということになるわけです。
そうなると、内堀は何かというとでは、前の年の腱鞘炎というのは本当に線維筋痛症の症状として出たものなんですか。
あるいは、翌年の9月に確定診断に至った線維筋痛症と原因、結果の関係みたいな因果関係、因果関係があるんですかということですね。
ここで、ただこのページで示している私自身もあまり整理できてないのですが、因果関係があるかという議論は線維筋痛症がなければ、腱鞘炎的な症状が出なかったという関係にあれば、いわばその腱鞘炎的な症状は線維筋痛症と因果関係がある、いわゆる条件方式にあてはまって、因果関係があるということになるわけです。
国側が言っているのはどういうことかというと、線維筋痛症の疼痛というのは腱付着部炎、とか、筋力関節などに及んで手指から全体に激しい疼痛が拡散をするものとされているとし、地元整形外科受診当時原告は激しい疼痛が生じていたことや激しい疼痛が身体全体に拡散していったことを疑わせないから、何ら同一性がないと言っているわけです。
最初の一部分がちょっと痛かったのがだんだん全身に広がって翌年の9月に線維筋痛症になった。そういうふうに病気って発展の仕方をするんだよねって頭から思い込んじゃいやすいのですけれど。
適当な考え方と言ったら…、いい言葉が思い浮かびませんが、なんとなくイメージですね。
先入観というかそういう感じ、あるいは痛みが激しくないといけないというのも一つ、この二つが正しいのかということですね。
それで調べてみると、これはなかなかよかったのですが、他の病気でもいろいろ最近専門医たちがガイドラインを作っていますが、線維筋痛症の診断ガイドラインというのがあって、これを見ると、激しい疼痛の存在というのは実は診断基準になっていないんですね。
だから、激しい疼痛がなければいけないのだっていうのは、一つは根拠がない。
同じく、拡散していくっていう、全身の慢性疼痛だとか、広範囲の疼痛というのも基準になっている拡散しているという進行性を基準とする記述もないと。
「どこにそんなことが書いてあります?」と言うとどこにも書いてないんですね。
だから、要するに被告がそういう痛みが激しくなきゃいけないとか、徐々に全身に広がっていくはずだというのは、何の根拠もありませんよという反論ですね。
症状のイメージというのは完全に間違っているというか、被告が勝手にそんなふうに思い込んでいるというか、勝手に描いているだけで、どこにもそんなことは書いていないんですということです。
だからギランバレーかもしれないと思われたことは線維筋痛症であった可能性も当然高いということになります。
もしそうだとすると、それは線維筋痛症の同一性のある病気の一部分だとか、あるいは、原因になっている病気にはならないけれども、何だかよくわからない。
それは、診断名がついた状態は結局どうなったのかというと、どこの病院に行っても治っていなくて、全てが翌年の9月の確定診断のところに流れ込んでいる。
そういう流れになっているわけです。
だから、これも因果関係を説明する上では、重要でそこを強調する必要もあると思うんです。
つまり、ある医療機関で受けた診断名と治療は結局それきりになって治っていないということはどこかに繋がっていくわけです。
繋がった結果、線維筋痛症でしたというそういう流れをちゃんと浮き立たせることも大事だと思います。
それからこれも、被告側の勝手な思い込みというか、わかって言ってるのか、あえて言っているのかよくわかりませんが、赤字で書いたように、主症状がないままに、随伴症状が出現するというのは変じゃないか、というわけです。
でもあえてガイドラインに即して言うと、主症状が先行して存在して、それに伴って随伴症状が出現するという発症様式の説明はどこにも書いていませんということです。
それから、最後の段落のところ、先行視的には随伴症状が線維筋痛症に由来する症状であることが確定できなくても、先行した随伴症状が確定できなくても、線維筋痛症に由来したものであることは確認できる。
つまり、行為のときにその結果が発生することが相当であると考えられるような因果関係だけに因果関係を限定していくわけですが、だけど、この障害年金なんかの場合の因果関係の考え方というのは、最終的に線維筋痛症になっていることがわかりましたと。
別にそこに因果関係を限定していく必要はないわけです。
前の年から実際、就労に制約が生じ始めているわけですから、そこが通常の法的因果関係論とは違うという、そういう意味です。
この点はもしかすると、もうちょっと後で質問を受けながら考えた方がいいのかもしれませんけれども。
それからあと、国側でよく言うよなと思うのは、被告側がいうのは要するに、最終的に確定診断をしてくれた線維筋痛症のお医者さんが前の年の8月にもう発症していましたよという意見書を出してくれたんですね。
それが本当は審査請求、再審査請求のときから大事な証拠の一つになっていたんですけれども。
被告側の反論するのは、その先生というのは、診療情報提供書の記載を根拠に、X年8月を初診日…。これは意見書を書いているだけじゃないか。
要するに、前の年の8月は実際に自分で見てないから自分で見てないときの診察、意見というのは、医者の意見としては信用できない。
医者はやっぱり現に自分が診察してみたときの意見は尊重されるべきだけれども、自分で実際に見てないときの意見というのはそんなに信用性がないということを(国側は)言う訳です。
審査しているわけだから、障害年金制度というか、保険者のやっていること自体が成り立たなくなっちゃいますよね、ということを皮肉っぽく言ったということです。
もう一つは、因果関係の、時系列的接合、他の事例でもそうですが、いろんな医療機関にかかっていろんなお医者さんによっていろんな診断名をつけたり、いろんな治療をやってみたりして、バラバラに散らばっている事実を、裁判官にこういうふうに繋がっているんですよということをなるべく整理して準備書面とかで教えてあげるということが必要だというところです。
ちょっと治療が中断するわけです。
16日になって、心因性の疾患じゃないかということで精神科を紹介されて、精神科を受診して、やっぱり繰り返しシュプレヒコール形で、同年8月以来の症状の原因になる明らかな精神疾患は認められなかったが、診療は継続されたと、とにかく前の8月からの症状に悩んでいる、ということは当然ですが、本人の中では一貫しています。
ポツンポツンと新しい症状が出て、これ何だろうと、あちこち行っているわけではなくて、もう8月からずっと具合が悪いということで診療を受け続けている。
その流れをきっちり目立ったラインで、裁判官に示さないと、見方によると、ポツンポツンとあちこち具合が悪くなったら、あっちへ行き、また辞めて別の具合が悪くなったらこっちいってやめてと言うのだと繋がりが見えなくなってしまうので本人は8月から、悩みに悩んであちこち行って、原因もわからず、状態も良くならず、困り果てていたという、そういうことを出していく。それはさらに言うと、補充的には本人に陳述書を書いてもらって証人尋問はしないんですが、陳述書で、そこら辺の背景を繋げて、本人のもうちょっと日常的なお医者さんに行っていない部分は本人の日常感覚というかそれで補充して、いわば、時系列の接合をしていく。
もう一つ、一番最後の段落で、先ほどのどこに行っても結局どの診断も治癒に至ってないところがすごく大事で、さらに言うと、決めになるなと私が思ったのは最後の都内の大学病院で精神科にずっと受診していたんだけれども、原因になる症状の明らかな精神疾患が認められないまま診療が継続されたんだけれど、その継続された精神科での診療は線維筋痛症の確定診断に基づく診療の開始によって不要と判断されたと。
ということは、精神科で治療していたんだけど、それって結局線維筋痛症だったよんだよねという、だからそうでなければ線維筋痛症の確定診断の治療が始まった。
精神科は精神科だから、こっちも治療をちゃんと続けてくださいということになるはずなのが、向こうで治療するんだったらこっちの治療はいらないということは、結局こっちでやっていた治療は向こうでやっているというか、つまり線維筋痛症の治療に吸収合併というか、吸収されちゃうわけじゃないですか。
ということは、精神科でやっていたことは、診療科とか、資料の内容とか診断名は違うけど実は線維筋痛症というものを、なんかよくわからなかったけど治していたんですね、とそういうことになるわけです。
身体に原因が見いだせないことから精神科領域の疾患が最終的に疑われて大学病院に行ったんだけれど線維筋痛症の確定診断医によってその治療が終了しちゃってるんだから、結局、最終的に精神科領域の疾患ではないかと疑われた8月以降の症状は線維筋痛症の症状で全部まとめて了解することが可能だということですね。
弁護士法23条の2による照会も割と役に立つなと思って。
実はこれは弁護士会で、23条の2は駄目だというふうに言われたんです。
なんで駄目なのかというと、23条の2は事実を聞くものであって、意見を聞くものではないと言われたのと、それと矛盾する点と乖離がありますかという聞き方では因果関係の証明としては不十分じゃないですかという。
だけど、これはお医者さんにはBの原因ですかと聞いたら、どんな病気についてもAがBの原因というのはすごく難しい。
例えば、交通事故にあって、足の骨が折れた。
車が足にぶつかったので足の骨が折れましたというのは、それは簡単に言えますが、まして線維筋痛症みたいなものとか統合失調症とか、他の病気でもそうですけど、ある意味、科学者である医者というのは、世の中にはいろんな原因ファクターが存在しているわけであらゆる原因ファクターを排除してこれだけが唯一の原因だということを認定することは、医学的に科学的にほぼ不可能というかそんなことは言えないですよね。
素人的に考えれば、AがBの原因というのはそう見えるけれど、いろいろ考えすぎちゃうとよくわかんなくなってきちゃって、だから原因ですかと聞くとそれはちょっとよくわかりませんと。原因だということは、断定できないとかそういう答えが出てきちゃうんですね。
だから、矛盾する点とか疑問点がありますかと、もし線維筋痛症の前駆症状というか、前提のいろんな症状としてこれが、症状になりますかといったときに、前駆症状ではこんな症状は出ませんよとか、あるいは線維筋痛症で出た症状だとするとこの点が線維筋痛症の症状としてはおかしいんじゃないですかとかそういう聞き方の方がいいだろうなと。
全ての医療機関に聞いたんですけど、それぞれいろいろまちまちだなと思って面白いなと思ったんですけど、まず都内のB大学病院は、診断された線維筋痛症も心因の関与も考えられる疾患であり、引き続き出現した一連の症状は当科初診時から症状に連続性がある疾患として矛盾はありません。
もう一つはかかりつけ医だったところは専門家ではないのでわかりませんという答え。
専門外だからとカルテ開示をした上で線維筋痛症と診断したお医者さんにカルテ記載の内容を検討していただくのがいいんじゃないですかということで協力したくないということですね。
以上が初診日問題ですけれど。もう一つ、行政庁が判断しなかった他の要件について訴訟で追加主張することができるか、要するに初診日要件のみが不支給の理由だったんですが、訴訟で、ここは争えないと降参しちゃったので。
原告のおっしゃる通りですということで認める準備書面を書いてきた。だけど障害認定日は3級にもならないですよということを追加して主張してきたわけです。
これは卑怯じゃないですかという話なんです。
それについて後で、業務起因性がないということを裁判になってから突然追加して主張してきたと。
そういう事例なんですけど、それについて業務起因性のみについての認定は、判断を留保した上で、本件不支給決定を違法として取り消したことについての諸論の違法はないということは、高等裁判所のレベルで業務起因性のところは論点として裁判所としては判断しないと、要するに第一次的に労働基準監督署長にその判断権限があって、その基準監督所長はそこは選考手続きでは全然判断しないわけだから、突然裁判所がそこについてどうだという判断はできないので、要は、法の施行前であるかどうかのところだけを認定して判断したと高裁レベルで、最高裁はそれでいいですよという判断の仕方なんです。
だからこれは読み方によれば、要するに、行政手続きの裁定請求から再審査請求に至るまでのところで言ってなかったことについて、言ってみれば、「初診日も駄目だし障害認定日も駄目だから駄目ですよ」と言ってたんならいいんですけど、初診日が駄目だから駄目ですよと言って、障害認定日については何も言ってなかったのに裁判になって初診日がうまく逃げられないと思ったら障害認定日で駄目でしょうという、そんなことはおかしいんじゃないですかと、そういうふうに使えるんじゃないかということなんです。
ただこれは、最高裁の判例解説なんかを見ると、なかなか微妙で、あまりクリアな解説はないんですよね。
それはそれで一応主張はして「今頃になって何言ってんですか」ということは主張したんですけど。
先入観に基づく主張というか、あるいは原告がそんなに痛いと言ってないじゃないかというところに目を付けたのかもしれませんけど、そういう言い方をしているわけです。
従って主症状である疼痛によって身体にどの程度の不自由があるかという議論の仕方は間違いですということなんです。
そうすると障害認定基準だとどう当てはめていったらいいかということで認定基準を読んでみると、日常生活の用を弁ずることをが不能ならしめる程度が1級。
重いというレベルになっているんです。
ステージⅡは、日常生活が困難という状態なんだから当然労働に制限があるということを含んでいることになるでしょうということを言いたかったと思います。
2番目のパラグラフで線維筋痛症のステージ Ⅱ の状態と診断されて日常生活が困難だ、だからいわばそれこそ2級に相当してもいいかもしれないぐらいのもので、3級は認めるべきだという、そういうことですね。
この辺は、障害年金申請の請求の添付の診断書の記載のところです。
日常生活における動作の障害の程度では10 mほどの距離を多少転倒しそうになったり、よろめたりするがどうにか歩き通すとか、階段の昇降あってそれがあっても非常に不自由とか座位から立ち上がり、立ち上がるのに支えてもらわないと非常に不自由とか、そういう記載になっていて、2番目のところで座位で人と変わりなく作業ができると記載されてますが、1日6時間週4日というところですね。立位や歩行移動などを全くしないでいい仕事ってそんなにあるんですかっていうこととか、1日6時間、4日しか働けない。正規労働者の就労全国的な統計でだいたい一週間にどれぐらい仕事をしているのかと出してみたんですよ。そうすると、1日6時間に週4日正規労働している人はいないんです。
統計上、要するに正規労働は少なくともできないとすると労働に制限を受けるということになるじゃないですかっていうこととか、それから障害認定基準の一般的状態区分でも区分(イ)の軽度の症状があって、歩行とか軽労働や座業はできるけれども、状態は特段の事情がなければむしろ3級だと書いているんじゃないですかっていう辺りですね、こういうあたりから見ると、ゆうに3級でしょっていうところですね。
言い過ぎかもしれませんが、金と権力に擦り寄る医者というのがいて、国側は、当然そういう医者を探してきて、ちゃんと意見書もお金も何十万も出してあげるし、(いい意見を書いて今度重用すると言ってくれてるのかどうかわかりませんが)大体、年金の裁判になるとこういう国側の医者が最後のゲームというか、ゲームで言うとラスボスみたいなところで出てくるわけです。
指示があればできるが非常に不自由との診断書の記載について日常生活動作の多くは、おおむね1人で行うことができるというふうに、医者はこれをだから自分で1人でできるじゃないと言ってみたり、開眼で直線目を開いて10 m、多少転倒しそうになったりよろめいたりそれはどうにか歩き通す自力で下肢を動かすことができない。
こういう医師にどうやって対抗するかということなんですが、まずはやっぱり痛みだけに注目している点で、厚生労働省の研究班が線維筋痛症の重症度の分類試案は痛みの他に他の事も言っていて、痛みだけに注目するって本当にちゃんとした医者なんですかって言わんばかりの言い方ですけれども、これは線維筋痛症含む難病については、臨床症状が複雑多岐にわたっていることを認定上考慮するという障害認定のあり方にも反しているし、単純に右の点からだけでも事情かつ動作の活動性を意味する。
考え方が間違ってますよねというところですね。
ADLが半数に何らかのADLの低下が認められて、50%ぐらいの人がADL低下すると言われているわけですね。
初診日の状態で1年半経っても変わらないなんてことは言っていないし、4分の1以上が著しく低下するわけです。
だから初診日と1年半後の障害認定日の状態はそんなに変わらないなんてことは全然医学的に正しくないでしょうし、それから、これ、どういうのを読むかって、半数が軽快するっていうと割と良くなるのかなという半数が不変か悪化しているわけですから、変わらない人もいるのかもしれないですが、悪化する人もいる。
残り半数が何らかの影響を受けていて3分の1が休職や休学に至ると言うんだから変わらないっていう。
要するに意見は推論の前提に誤りがあるということですね。
一般的な労働は立位での作業や週24時間以上の労働が求められていて、こうした点を度外視するのは、呆れちゃいますねという話ですね。
その流れですねということで、障害認定日のときに傷病手当金はもらっていて仕事ができない状態にありましたというのはこちらからの証明ができたということですね。
障害年金訴訟で必要なことというのは簡単にまとめると、とても大事なのは因果関係論で、刑事法、民事法的な因果関係ではなく、つまり、損害賠償責任や刑事責任を考えられる。
つまり因果関係ありますかと聞いてしまうと、それはちょっとわからないねという答えになっちゃうので。
こういう症状や、こういう治療っていうのが、最終的には病気になったことを踏まえて考えるとやっぱりあれはこの病気がそのときに出ていたんだねって考えておかしくないですよねっていう、聞き方の方が答えやすい、そう言われればそうだよねということになりやすいということですね。
もう終わりますけれども、それから、3番目ですかね。
確定診断医とか主治医とかあるいは協力医の意見を求めることも大切で、協力医の意見も大事です。
特にその被告側の金と権威に目がくらんだ意見書が出てきてしまうので、こちらも対抗してなるべく出した方がいいですね。…出した方がいいというか。
かなり必須に近いと思いますが、もう一つは、なるべくその枯れ木も山の賑わいと言ったら大変失礼なんですが。
複数の意見があった方がそれは補強になるので、協力、誰か1人詳しい意見を書いてくれたら別の主治医なり確定診断医でもいいですけれども、こういう内容の意見書が出ていますが、この意見書には何か疑問点とか反対の部分はありますか、それとも同意できますかというふうに聞く。たくさん書いてくれと言うと、時間もかかるし面倒くさいからいやだと言われちゃうんですが、1個意見書が出ているときに、この意見書ってどうですか、賛成できますかと聞く。それはいいと思うよと言ってくれたらば、1行でいいから、誰先生が書いた意見に私は同意しますというか、賛成ですとかね、同意しますとか問題ないと思いますとか、どういう表現でもいいですが、補強的に書いてもらうと少し強くなっていくというところですね。
だから、こちら側のストーリーに従ったバラバラな記載を繋げるという作業はとても大事だと思いますね。
それから処方されたら薬などから、傷病の種類や程度を裏付けることも大事です。別の裁判でも、うつ病の人が障害年金の訴訟で、障害認定日がやっぱり争われた事案なんですが、障害認定日のときに結構外形上、外見上具合が良さそうになったんですね。
ちょっと復職しちゃったんですよ。
ちょうど障害認定日の前後ぐらいに。
それで、保険者側は、復職しているんだから病気は良くなっているでしょうという、だから、3級に該当しませんという。
そのときに、どうしたらいいかと思って薬の処方量とか、処方の種類を調べたんです。
薬の量が増えて…、具合が良くなって、薬が増えるっていうことはあり得ないでしょうということで薬の種類と量が増えたりしたという事実から、実はとっても具合が悪かったんですということを証明していった。
さらにそこは医者のカルテは大したこと書いていないので、本人の陳述書でそこを補強したりとか。もう一つがその事件でやったのは、復職はしたんですけれど、会社に、これも弁護士法23条の2で問い合わせると、むちゃくちゃ遅刻早退繰り返しているんですね。
朝3時間遅刻とか、午後3時間早く早退とか、それから欠勤が、1週間のうちに3日ぐらい続いたりとか、そういう勤務状態も補充すると、形式的外形的に復職しているから具合が良くなっているという認定はありえないですよねっていうことができて、その主要なのは、薬から、薬の量から具合の悪さを証明できたというのはよかったかなと思います。
それから、本人の陳述書で、診療録の病跡の穴を埋める作業、それから療養生活の実情をリアルに伝える。
診断書がADLの記載を実生活の場面に置き換えて裁判官にリアルに想像できるようにするというのは申し上げたところで、10 mは歩けるという記載で読んじゃうと、歩けるんだという印象になるんですけど、言ってみれば10 mしか歩けないとか、あるいは、裁判官室で考えたときに、10 mというのはどのくらいの距離だと思いますかと、ドアを開けて自分の席に行くのに10 m以上あるんじゃないですか。
座りっぱなしで1日終わる仕事ってどんな仕事という、そういうふうに問うてみるとか。
そういうリアリティーで考えていくと、ちょっと伝わりやすいかなという感じがします。
それから、被告、協力医の意見書、これは医学的な意見に対する批判の基本的な枠組みですが、これは最高裁判所自体がそういう言い方をしていますが前提事実の正確性と推論過程の合理性の両面から分析すべきだと言っています。
前提事実として、どんな資料を使って判断していますかと、例えばカルテやいろいろな資料が裁判上出ているけれども、それは全部読んでいますかということ。その読んだものを正確に把握していますかということが、問う必要があって、これは案外やっていない人が多いです。
要するに、金と権威だけもらって本当のことを言うと面倒くさいからあまりやらないという。
今回の協力医も杜撰な意見書だったと思いますが、要するに前提事実としての資料をちゃんと寄せ集めてしっかり読み込んでいるのかということを意見書の中から、読み取っていく。こういうところを読んでないんじゃないですかとここの記載が間違っているんじゃないですかとか、もっと形式面で言うと、意見書を書くにあたって、どういう資料を読みましたということを本来はそれを書くべきで、書くべきですけれども書いていないとか、それから、推論過程の合理性というのは、例えば痛みだけから診断するというのは、ガイドラインとか医学文献にのっとったやり方なんですかと。
そんなところで私のお話は終わりです。
ありがとうございました。
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関哉:池原弁護士ありがとうございます。
最後に集約していただいた障害年金で必要なことは、本当に僕も何年弁護士をやっているんだろうと思うぐらい目からウロコが落ちることが多くて、しかも、23条で意見を求めるという裏技を通すという。それも含めてすごいなと思いました。
ここから質疑応答に入ります。
まず、まず松田さんからお願いできますか。
【松田崚】
「弁護士松田崚と申します。
池原先生、ご講義ありがとうございました。
医師や医学的に「因果関係の有無」というのはなじみがないだろうと思われますので、医師への因果関係の有無についての尋ね方はストレートに尋ねるのではなく、工夫が必要という点が大変勉強になりました。
以下2点につきまして、質問させて頂きます。
①まず因果関係につきまして、民法や刑法でも議論があるところですが、厚生年金保険法の条文では、パワーポイント7枚目によると、
『厚年法では、初診日の要件として定義する「傷病」とは、「疾病(線維筋痛症)にかかり、・・・、その 疾病(線維筋痛症)・・・に起因する疾病」(同法47条1項)』と「起因する」という用語を用いており、この点が民法や刑法とは違う独自的な点だと思われます。この条文中の「起因する」という要件で、事後的客観的な因果関係を求めていると考えてよいのでしょうか?
また、そうすると、「起因する」すなわち原因と結果の関係にあることの立証責任は、原告が負うと考えるべきものでしょうか?
ご教示いただけますと幸いです。
②2点目として、障害年金訴訟は、他の訴訟とどのような違いがあるのでしょうか?また弁護士として気をつける点等ございましたら、ご教示いただけますとありがたいです。
池原:ちゃんとした答えでなければ追加質問していただきたいと思いますが、起因するという用語が、民法や刑法とは違う独自の点ということとか、あるいは事後的客観的な因果関係と、必ずしも文言上意味しているか読めるかどうかわかりませんが、典型的には、例えば糖尿病の人が失明するとか糖尿病の人が足の血管が例えば詰まってしまって切断しなきゃいけないとか、そんなことが起こったときに、例えば、失明という状態と、糖尿病との間に因果関係があるという使い方をしたり、あるいは、もしかすると、脳梗塞で倒れて半身不随になりましたと。だけど、脳梗塞に先行して、高血圧症がずっと続いていましたと、そういうときに、逆に初診日は高血圧症について診療を受けた日が初診日になっていいんじゃないかとか、あるいは、統合失調症のとき、最初の方の例でましたが、前駆症状として不眠だとか、胃腸の不具合とか、そういうことが統合失調症に起因する一定の傷病だと。
それは特別な診断名がつくかつかないかに関わらず、一定の病的な症状の出現が、結果的には、統合失調症なり、糖尿病なり、あるいは線維筋痛症なりの発現としての症状だったということがあれば、起因するということになる。
そういう理解です。
その起因性というのはこの起因性を読むと、線維筋痛症だと確定診断が出ていなきゃいけないとか、出たものの範囲じゃなきゃいけないとか出たものじゃなきゃいけないわけではなくて、まさに本件は一つの典型かもしれませんが、それに先行する1年前の腱鞘炎も、腱鞘炎という、それもある意味確定診断だったとしても、線維筋痛症に起因する、ある意味疾患でしたということになるので、この条文に該当するということになるわけです。
事後的客観的かどうかというのはやはり法の目的との関係で異なるということだと思います。
民事とか刑事のいわば行為者に責任を追及するという損害賠償責任なり刑事責任なりを追及するというときに、やはり社会的に経験則上あり得ないような因果関係の発展があったときに、そのすべての責任を最初の行為者に負わせるというのは、やはり法的に適切ではないだろうと。
いわば、所得喪失の危機にひんした人をどうやって所得面で救済するというか、補償するかということなわけだから、必ずしも相当因果関係を、別な分野で相当因果関係という言葉を使いますが、むしろ、いわば、事後的客観的な因果関係がある傷病とか疾患であることがはっきりすれば、そこはやはりその時点から取得喪失の危険性が発生していることになるわけだからそこを基準にしていいでしょうというふうに考えていいんじゃないかと思います。
年金法でも相当因果関係という言葉を使うことがありますが、これは興味深いのは、むしろ事実上の因果関係があまり明確じゃなくても、そういうのは病気の発現としてそんなに変じゃないよねと。矛盾とか、疑義がないよねというようなときは、相当な因果関係があると言ってもいいんじゃないかとそういう因果関係の理解の仕方をしていると思います。
例えば統合失調症で不眠になる場合があったって、そもそも、統合失調症の原因そのものが解明されていないからすごく科学的に厳密的に言ったら、不眠が本当に統合失調症の発現かというのは、純科学的にはよくわからないわけです。しかし普通統合失調症は、その発症当初は夜眠れないとか身体的に不調を感じたりということが往々にしてあるので、そういうことがあったら後で統合失調症になった人はそれが発症していたと考えてもそんなに変じゃないということは、相当因果関係があると、そんな使い方をします。
それから、さっきの医者の意見について。
因果関係論にしても、そうだと思うんですけど、そんなにすごくギチギチの医学論争をしなくてもいいというか、逆に言うと、東京地裁あたりの医療過誤部はやたらに裁判官が半分お医者さんになったという気取りふうで、やたら緻密に論じることが正しいみたいな感じになって、結局医療過誤は勝つのが難しいし、医療過誤は難しいんですけど。
障害年金での医学論争はそんなに超厳密だとか超専門的である必要はなくて、ちょっとしたガイドラインとか、それを使いながら、一般的には、こう考えられていいんじゃないかということで行けるからあんまり警戒しないでやっていただいた方がいいんじゃないかな。
障害年金での医学論争はそんなに超厳密だとか超専門的である必要はなくて、ちょっとしたガイドラインとか、それを使いながら、一般的には、こう考えられていいんじゃないかということで行けるからあんまり警戒しないでやっていただいた方がいいんじゃないかな。
それで特に裁判官も、あるいは被告側も原告本人を証人で呼んでくださいみたいなことは言わないので、ね、書面上の立証活動で、というのは割と楽かなという気はします。
それでよろしいでしょうか。
関哉:ありがとうございます。
では、続いて社労士の佐藤奈己さんから、ご質問いただけますか。
【佐藤奈己】池原弁護士今日はありがとうございました。
私は聞きたいのは二つあって、今回これだけ国、被告は、初診日は確定診断だとずっと主張してきたのに訴訟の終盤で初診日要件は争えないと考えて、原告の初診日を認めた。
この一番の決め手は池原弁護士の中ではいくつかもちろんあると思うんですけど、これが一番強いんじゃないかなというのはどんなことがありますか、ガイドラインもそうだと思うんですけど。
池原:国というか被告は割と素直にこちらの第一準備書面でいろんな、あれやこれや書いてたんですけど、それで、こちら側の立場からすると、撃破できちゃったとか、初診日も本部は国側の被告側の医師も初診日に関しては確かにおっしゃる通りですという認めちゃってくれたわけです。
どこ行っても良くならないという状態がずっと続いていたという事実があって、だから連続性があったというのが有利だったのかなというのはあります。
連続性をいかにして再現するかというところが、重要なのかもしれません。
だから被告側はなんで9月になって急に具合が悪いと言ってるんですかという、前の年の12月までの話と、10ヶ月ぐらいたった翌年の9月の話は、やっぱり切断されてるでしょうと違う話なんじゃないですかというのが、被告側の言い分で、そこの埋め方が、埋め方というかそこはあまり埋まってないんですけど、でも、ガイドラインの例えば潜行期という症状があまり現れない時期もあったりするし。
例えば、日変化とか変化の激しい良くなったり悪くなったりするあたりを引っ張ってきて、それから、確定診断してくれたドクターも、言ってたのは仕事を辞めたからストレス軽減して症状が改善したという説明ができる、そういうことが埋めるのは大事だったかなという。
それですさすがに、1年前のは初診日にならないという言い分はさすがに無理だなと国も思ったと思います。
佐藤:ありがとうございます。
今回どのような経緯で、訴訟の担当されたのかというところを含めてなんですけど、弁護士の方に相談する案件はどんな案件がふさわしいのか。
その辺も少しお考えをお聞かせいただけると。
池原:ふさわしいか、よくわからないんですよ。
社労士の方が、再審査請求まで頑張ったけど、やっぱり結局確定診断じゃなきゃ駄目だみたいな決定になってしまってだから、社労士の立場として、これはおかしいでしょうと。
どう考えてもおかしいですよというのは、弁護士のところへ持ってきていいんじゃないかと思うんです。
そうするとどっちかというと、弁護士の方があんまり詳しくないので、どうしておかしいんですかみたいな、例えば線維筋痛症なんて、もともと専門でもないので、今回の事件で初めてで、もちろん病気自体は知ってましたけどそんなに詳しく知っているというか、ガイドラインを読んだのは初めてなのででもおかしいですという話を何回かディスカッションして、あるいは本人に聞いたり、要するにそんなに年金訴訟って勝つ裁判でもないので、結構大変ですよという話とか、主治医にどれぐらい今回だと確定診断してくれた医者にどれぐらい協力してもらえるのかということを確認する作業。
社労士の方からこちらへ弁護士へのバトンタッチの部分とすると、社労士の方が、これはやっぱり、おかしいよねという感覚でいいんだと思うんです。
とりあえずは許せないというのは、弁護士に持っていったほうがいいかもしれないです。
それでは、時間になってしまったのでそろそろ終わりたいと。
【藤原精吾】:この機会に池原先生に一言お礼を述べます。
昨年2月、大阪で線維筋痛症の障害年金の裁判を起こしました。
確か共同通信記事で6月に東京地裁判決があったことを知りました。
池原先生に「筋痛症の判決、ぜひ下さい」とお願いし判決文を頂きました。
それに基づいて、私達の主張立証を展開して、去年の12月にその事件は自庁取り消しで、めでたく解決しました。東京地裁の判決の内容が非常に役に立ちました。
その方は平成20年5月に、交通事故をきっかけにして発症された。5ヶ所ほどいろんな病院を巡って、ようやく平成25年に確定診断になったという。
障害年金の請求をしたら、平成20年は初診日とは認めがたいということで、不支給になったわけです。
なぜ20年にこだわったのかというと、多くの場合そうなんですが、その当時はお勤めで、厚生年金保険の資格があったんですけれど、病気によって25年の時点では退職されていた。そこで本人としてはやはり厚生年金の資格があったときの初診日を認めさせたいということで、訴訟を起こしたわけです。
今日の話の趣旨にもあったし、それから厚労省が発行した障害年金手続の手引きというのに、必ずしも最終的な確定診断でなくても、今見れば遡ってみれば、その病気の症状が出ていたということであれば、そのときを初診日と認めてもよろしいと厚労省自身も書いているということで、最終的に厚労省自身が見直しをせざるを得なかった。
去年の12月に自庁取消しをして、そのことは、訴訟でも言ってくれと言って2月に出てきて、それで、こちらとしては目的を達したので、取り下げたと。
私達の線維筋痛症の事件前には、裁判までやらずに断念した事件が1件あったんですけど、今回は東京地裁の判決があったということで、非常に有力な手がかりとなって、うまくいきましたので、池原先生にぜひともこの場を借りてお礼を申し上げたいと思います。
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関哉:藤原先生ありがとうございます。
藤原先生の発言をもって閉会の辞とさせていただきますじゃないですが、本当に勉強になりましてありがとうございました。
医療事故のようにプロスペクティブ的に見る因果関係論じゃなくてなぜ障害年金とくに初診日はretrospectiveに後方視的に見るのかというのは理論的にも整理しておいた方が今後のいろんな訴訟に役に立つのかなと思うので、改めてみんなで議論した方がいいかなと思いました。
池原先生には、初診日を中心とした議論について、それだけではなく今後も別の論点でまたご登壇をいただきたいと思っておりますのでよろしくお願いいたします。